日本共産党は、絶対、戦争反対、暴力反対ではない。

 

 

 

日本共産党で理論学習教室を主催するなど、日本共産党の理論的な指導者である不破哲三氏は、著書『マルクス、エンゲルス 革命論研究』(新日本出版社 2010年1月10日初版)の中で次のように書いている。つまり、日本共産党は、絶対暴力反対ではないのである。

 

 

 

 

 

上巻

 

248ページ

 

ブルジョアジーの戦争だから全部侵略戦争だ、反動戦争だといって、片づけるわけにはゆかない時代でした。そこには、社会進歩と平和の利益からいって、労働者階級が支持できる進歩的意義をもつ戦争もあれば、反対すべき侵略的、反動的な戦争もある、なかには、中立的な立場をとるのが妥当な戦争もあります。マルクス、エンゲルスは、一つひとつの戦争について、そういう見地でその性格を吟味し、労働者階級のとるべき態度を提起しました。

 

 

 

また、昔、ベトナム戦争が戦われている時、宗教者を中心に、世界中で停戦が呼びかけられたが、日本共産党は北ベトナムの側に立って停戦を拒否した。北ベトナムの攻勢を、正義の戦争としていた。

 

 

 

日本共産党や左翼は、みんな仲良くとか、みんなで仲良くしようとか言うが、だまされてはいけない。彼らは、管理職とは口をきかない。特に、春闘の季節には、赤いはちまきをしめて、管理職と断交を行う。

 

 

 

「なんで仲良くできないの」は、こちらのせりふである。人類の歴史は階級闘争の歴史であったと主張して、闘争をあおるのは自分たちではないか。国民を、一部の支配者と人民とに分け、対立をあおり、抗議行動を組織する。日本国民に分断を持ち込む、とんでもない人たちである。暇さえあれば、知り合いや、地域の仲間、職場の仲間を、自民党や財界、経営者に対する抗議行動に組織する。敵をでっちあげる思想でありながら、「なんで仲良くできないの」とはよく言えるものだ。

 

 

 

松本善明元国会議員は、平気で支部を「細胞」と書く

 

 

 

『日本共産党の深層』という2014年2月15日の最近に出版された書籍がある。日本共産党寄りの立場で、日本共産党を賛美し、何年か後には大臣が日本共産党から何人か出るかもしれないで結ばれている。その中に、長年日本共産党の国会議員を務めた松本善明氏が、学生時代、若いころのことを書いている。松本善明氏は、1926年生まれで、日本共産党国会対策委員長、日本共産党衆議院議員団長、日本共産党幹部会委員を歴任している。

 

 

 

111ページ以下には、次のような記述がある。

 

 

 

「国会での仕事にも馴れた松本は、末端の居住細胞での活動もしなければ駄目だと考えた。八月になると、住んでいる神田駿河台地区の細胞会議にも出席しはじめた。」

 

 

 

「法務委員会担当秘書の松本は、細胞会議で、一連の事件について、でっち上げであり、共産党への弾圧であることを語り、知りうる事実を話した。」

 

 

 

いくら日本共産党が変わったといっても、古いベテラン党員からは、「細胞会議」というような古い語句が平気で出る。他の古い党員も同じような感じであろう。これでは、いつ、日本共産党が昔のイデオロギー色が強い政治団体に戻るかわからない。日本共産党は、変わりましたと言っても、信用できない。

 

 

 

日本共産党員が集い、食べたり飲んだりしながら、歌う、うたごえ喫茶では、今でも、ロシア民謡が、よく、歌われたりする。ロシアを共産主義の祖国として想っている古い党員が多いからである。日本共産党は変わったといっても、簡単に信用するわけにはいかない。

 

 

 

日本共産党と関係の深い安保破棄中央実行委員会は解散するべき

 

 

 

 

 

 

 

日本共産党と関係の深い、政党としては日本共産党だけが参加している安保破棄中央実行委員会と言う団体がある。ウェッブサイトには、「紹介

 

 わたしたちは、日米安保条約安保廃棄の旗をかかげて、米軍基地撤去、自衛隊の海外派兵反対、平和、非同盟・中立の日本の実現をめざして運動している団体間の共闘組織です。

 

 会の目的に賛同する中央団体で構成し、現在、全国労働組合総連合など41の中央団体が加盟しています。

 

 定期的に常任幹事会、幹事会、全国代表者会議を開催し、運動方針の決定、各加盟団体および都道府県組織の活動について交流しています。

 

 日ごろの主な活動内容は、①日米軍事同盟・基地問題の調査、学習会、シンポジウムなどの開催、②機関紙「安保廃棄」新聞、ニュースの定期発行、刊行物の発行、③宣伝、署名、国会請願、集会の開催など、④平和憲法を擁護し、米軍基地撤去などをテーマに集会、現地調査など共同した行動をおこなっています。」とある。常任幹事団体は、全国労働組合総連合、日本国家公務員労働組合連合会、全日本教職員組合、日本自治体労働組合総連合、全日本建設交運一般労働組合、日本出版労働組合連合会、日本医療労働組合連合会、日本共産党中央委員会、 新日本婦人の会中央本部、日本民主青年同盟、全国商工団体連合会、 全日本民主医療機関連合会、日本平和委員会、原水爆禁止日本協議会、自由法曹団、農民運動全国連合会である。

 

 

 

 安保破棄中央実行委員会は、安保条約の廃棄を目的として活動を続けている。日本共産党は、野党共闘を呼びかけるに当たり、安保条約廃棄、米軍基地撤去の日本共産党の方針を凍結したと言うが、それなら安保廃棄中央実行委員会も解散すればいい。日本共産党は信用できない。

 

 

 

 

 

マルクスやレーニンを美化して、青年に虚像を教える日本共産党は許されない

 

 

 

日本共産党や左翼は、マルクスやレーニンを美化して青年たちに教えている。特に、マルクスを理想の父親として描いたりしている。許されないことである。真実は以下である。マルクスは不倫を実践していた。日本共産党寄りとも言われる岩波書店の出版する岩波新書『人間マルクス』にも出ている。この書はフランスのジャーナリスト、ピェール・デュラン(フランス共産党機関誌「ユマニテ」の寄稿家)の著作で、その中の「6 裏切られた愛」にマルクスが一家の「家政婦」ヘレーネ・デムートと肉体関係を結び、フリードリッヒ・デムートという一子をもうけたいきさつが描かれている。マルクスは、不倫の子を、親友のエンゲルスに彼の子として育てさせたとか、何人もの女性と不倫を行ったとか言われている。そもそもマルクスは、労働者ではなく、彼がもっとも批判するところに、寄生虫であった。

 

 

 

『人間マルクス -その愛の生涯-』 ピエール・デュラン著 岩波新書 より

 

(著者は、元フランス共産党の幹部です)

 

 

 

 

 

6 裏切られた愛 -ヘレーネ・デムート-

 

 

 

 

 

ヘレーネ・デムートは家政を取り仕切り、給金をもあきらめ、マルクスが朝の三時まで仕事をする部屋の中の粗末なベッドで寝る。彼女は子供たちにとって第二の母である。

 

 

 

 

 

マルクス一家と永い年月にわたって親交のあったヴィルヘルム・リープクネヒトは書いている。(ドイツ社会民主党の創立者の一人「1826-1900年」。彼の『マルクスの思い出』は1896年に公刊された。

 

 

 

 

 

「マルクスが家庭を持ってこのかた、レンヒェンは、マルクスの娘一人がいったように、「家の中心」となり、言葉の最も完全な、最も高い意味で、いっさいの仕事をやってのける補助者となっていた。彼女が頼まれない仕事があっただろうか? 彼女が喜んで果たさない仕事があっただろうか? (・・・・)しかも常に陽気で、常に手助けしようと待ち構え、常にほほえみを忘れない彼女であった。いや、彼女も腹を立てることがあった、そして彼女は「モール」の敵どもに対しては凶暴な憎悪を抱いていた。

 

 

 

 

 

マルクス夫人が病気のときや気分のすぐれないときには、レンヒェンが夫人の代わりをつとめた。それに彼女は子供たちにとって常に第二の母ではなかったか? 彼女は意志をめぐまれていた。強い、しっかりした意志をめぐまれていた。必要と思ったことは、実現させずにはおかなかった。

 

 

 

 

 

・・・・

 

 

 

 

 

何が起こっていたのか? 読者にも想像がつくであろう、最も大きな苦難の時期におけるマルクスの絶望、彼の精神的混乱とレンヒェンの-あの盲目的に献身的なたくましい百姓娘レンヒェンの-絶大な同情は、単に一時的だったマルクスの行動を説明してあまりある。マルクスはこのような行動をしでかした自分を決して赦さないことになるであろう。そしてこの行動は彼を苦しめた。その苦しみはエンゲルスへの手紙の数々にそれとなく示されている。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

ヘレーネが男の子を産んだ。エンゲルスはスキャンダルを避けるために、その子を自分の子として認知した。エンゲルスがそうした処置を採らなかったら、当時にあっては、スキャンダルは甚だしく、マルクスの上にだけでなく、彼の著作の上にまではね返ったであろう。ジェニーのカールとはこの事を口にすることは決してなかった。

 

 

 

 

 

日本共産党は、レーニンの犯罪を隠す

 

 

 

日本共産党は、ソ連の一党独裁を、ソ連共産党が望んだものではなく、初めは他の政党とともに連立政府を望んでいたが、他の政党がレーニンの率いるボルシェビキに反乱を企てたので、しかたがなく鎮圧せざるを得ず、結果的に一党独裁になっただけであると主張している。

 

 

 

Wikipediaのロシア革命の項にも、二月革命で帝政ロシアが崩壊した後の臨時政府は、共産主義や社会主義を掲げていない普通の政党(日本共産党に言わせればブルジョア政党)も入っていたし、十月革命後も、メンシェビキ、アナーキスト、社会革命党右派、左翼社会革命党などと協力していた。しかし、暴力をともなう権力争いによって、後にソ連共産党となるボルシェビキの独裁支配体制を確立したというのが事実である。

 

 

 

レーニンはロシア革命に成功すると直ちにKGBの前進である秘密警察、チェーカーを作った。チェーカーは裁判をすることなく「人民の敵」を次々に処刑した。1918年7月にはチェキストの数は特別部隊を勘定に入れずに2000人になった。同時期、内務省には400人しかいなかったのだから2000人とは巨大な数字である。さらにその数は、年末には約4万、1921年初めには28万人以上に増加した。

 

 

 

 有名なレーニンの虐殺事件にアストラハンの虐殺とクロンシュッタトの虐殺がある。どちらも、レーニンの政策に反対してストライキを行う労働者に対してレーニンが血の弾圧を加えたもので、前者では3千から5千人が、後者では2000人が裁判もなしに殺された。

 

 

 

 

 

レーニンは、1917年のロシア二月革命後、亡命先のスイスからロシアに帰国したが、それはロシアと戦争をしている敵国ドイツとの裏取引の結果であった。つまり、レーニンは祖国ロシアの裏切り者だったのであり、当然、革命政権樹立後、その件で政敵より裁判にかけられたが、途中で政敵が非合法となり消滅し、裁判も立ち消えとなった。

 

 

 

以下はネットのコトバンクから。1917年のロシア二月革命後、スイスにいたレーニンらロシアの亡命革命家たちが、敵国ドイツを通過してロシアに帰った列車のこと。レーニンらはドイツ領内通過中、列車から離れず、ドイツ市民と接触しないことを条件とされた。ドイツ政府は、ロシアの革命家の帰国がロシアとの戦争に有利に作用すると判断、レーニンらは帰国することがなによりも革命の利益となると考えたため合意が成立した。レーニン、ジノビエフらボリシェビキ(多数派)を中心とする32名の亡命者は同年4月9日スイスを出発。ドイツ、スウェーデン、フィンランドを経て、同月16日(露暦同3日)夜ペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)に到着。レーニンは翌日「四月テーゼ」を発表し、革命の進行に大きな影響を与えた。他方、メンシェビキ(少数派)のマルトフらは、ロシアにいるドイツ人捕虜とロシア亡命者との交換による帰国を追求したが成功せず、6月になって同様の方法で帰国した。[藤本和貴夫]

 

 

 

日本共産党は、平和の党でも非暴力の党でもない

 

 

 

日本共産党は、平和の党でも非暴力の党でもない。それは、日本共産党前中央 委員会議長で、現在、党中央委員会常任幹部会委員、党付属社会科学研究所所長である不破哲三氏の最近の著作である『マルクス、エンゲルス 革命論研究』(新日本出版社 2010年1月10日初版)にも、具体的に記述されている。不破氏は、暴力革命を、強力革命と言い換えながら、暴力の使用を放棄していない。

 

 

 

日本共産党は、暴力反対で平和を愛する人たちの集まりではない。実現を目的としている共産主義社会が実現すれば、暴力を必要としない、戦争の起こりようのない絶対平和の社会が実現すると主張しているだけである。その目的の実現のためには、暴力を含むあらゆる手段を否定していない。また、なぜ、平和の実現を目的とするかといえば、平和な世の中が人民の利益を実現するからと言う理由であり、平和そのものには価値を認めていない。共産主義者が目標とするのは、労働者階級による政治的権力の獲得である。マルクスが起草した第一インターナショナル創立宣言にも、「労働者階級による政治的権力の獲得』が明記されていた。

 

 

 

それでは、不破氏の著作である書籍『マルクス、エンゲルス革命論研究』を見てみよう。なお、不破氏は、マルクスの発言を全面的に肯定している。

 

 

 

上巻

 

248ページ

 

 ブルジョアジーの戦争だから全部侵略戦争だ、反動戦争だといって、片づけるわけにはゆかない時代でした。そこには、社会進歩と平和の利益からいって、労働者階級が支持できる進歩的意義をもつ戦争もあれば、反対すべき侵略的、反動的な戦争もある、なかには、中立的な立場をとるのが妥当な戦争もあります。マルクス、エンゲルスは、一つひとつの戦争について、そういう見地でその性格を吟味し、労働者階級のとるべき態度を提起しました。

 

 

 

274ページ

 

 だから、将来、「強力的」衝突が不可避になるだろうから、といって、今日の「強力的反革命」を正当化しようとする議論を、「事実としてある『平和的』発展にたいする強力的反革命のおたけび」と断じたのは、まさにマルクスの名言です。それは、体制維持のためには手段を選ばないという旧体制の代表者たちの無法性をきわだたせ、変革者の側が「強力」的な手段をとることを「やむをえないもの」とする結果をもたらすのです。

 

 エンゲルスは、1880年代から90年代にかけて、ドイツの労働者の闘争が大きな前進をとげ、決戦の時代をどのように迎えるべきかがいよいよ切実な問題になりつつあった時期に、この問題でも多くの貴重な助言をおこないました。「お先に討ちたまえ、ブルジョアの紳士諸君!」というのは、エンゲルスがドイツの労働者党にその時与えた有名な合言葉で、「合法性」は、ブルジョアジーなど旧体制の側に先に破らせろ、という意味です。

 

 

 

下巻

 

26ページ

 

 革命には、その支配体制の性格や革命をめぐる情勢に応じて、議会の多数を得ての革命の場合もあれば、武力で既成権力をたおす以外に革命の道がないという場合もあります。それに応じて、旧来の国家機構のどこが切り捨てるべき部分になり、どこが引き継ぐべき「正当な諸機能」の部分にあたるかも違ってきます。

 

 

 

68ページ

 

 ロンドン協議会(71年9月)での演説で、マルクスは、次のように発言しています。

 

「われわれは各国政府に言わなければならない。君らがプロレタリアに対抗する武装した力だということを、われわれは知っている。われわれは、可能なところでは平和的な方法で、また、必要とあれば武器をとって、君らとたたかうだろう、と」(「労働者階級の政治活動についてのマルクスの演説の記録」全集17、622ページ)

 

 

 

155ページ

 

 マルクスはここで、・・・・、農民が革命の妨害勢力となるか、革命の側に接近する方向をとるかは、なによりも、労働者革命と労働者階級の政権が農民にたいしてどういう態度でのぞむか、にかかっている、と述べます。そして、労働者階級の政府は、農民の利益と気分を害するような方策は絶対にとらず、農民の状態を直接に改善する諸方策をとるべきだとするのです。

 

 

 

187ページ

 

 ドイツで多数者革命の道を進むにあたって、エンゲルスが重視したもう一つの点は、支配階級の側からいかなる恫喝や籠絡があろうとも、労働者階級とその党は、自分たちが専制政治のもとでの「合法性」の枠内にとどまるという誓約は絶対にしない、ということです。

 

 

 

190ページ

 

 エンゲルスの大事な助言があります。それは、革命の条件が成熟し、議会内から、実力で争いあう議会外の舞台に闘争の主戦場が移される事態が来たとしても、革命勢力の側から先に合法性を破るようなことはするな、合法的な枠組みを捨てて、実力闘争の火蓋をきることは、権力者の側、ブルジョアジーの側にやらせようではないか、こういう忠告です。

 

 

 

日本共産党は、言論の暴力団体

 

 

 

日本共産党は、暴力反対、平和主義を主張しているが、順法闘争を基本としているということと、犠牲を少なく革命を起こそうということである。そのため、違法すれすれの暴力まがいの行動であれば、普通に行う。

 

 

 

日本共産党の大会決定は過激な行動を誘発している。ちなみに、日本共産党の全国大会決定は、全党員が学び、全党員が実践する、日本共産党の最高文書であり、自民党や民主党の大会決定とは性格がまったく違う。

 

 

 

以下、日本共産党の全国大会決定より。

 

(最新のもの。第26回大会決議 2014年1月18日)

 

 

 

(19)侵略戦争を肯定・美化する歴史問題での逆流を日本の政治から一掃する

 

 

 

日本共産党は、戦前の暗黒政治のもとでも、侵略戦争に命がけで反対を貫いた党として、日本の政治から歴史問題での逆流を一掃するために全力をあげる。

 

 

 

 

 

日本共産党員が好んで歌う歌には、こわい歌詞のものが多い。

 

 

 

日本共産党員、共産主義者、左翼が肩を組みながら歌う歌、「インターナショナル」の歌詞は、とても恐ろしい歌詞である。

 

 

 

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し

 

醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ

 

暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて

 

海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく

 

いざ闘わん いざ 奮い立て いざ

 

あぁ インターナショナル 我等がもの

 

いざ闘わん いざ 奮い立て いざ

 

あぁ インターナショナル 我等がもの

 

 

 

聞け我等が雄たけび 天地轟きて

 

(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る

 

圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)

 

今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗

 

いざ闘わん いざ 奮い立て いざ

 

あぁ インターナショナル 我等がもの

 

いざ闘わん いざ 奮い立て いざ

 

あぁ インターナショナル 我等がもの

 

 

 

日本民主青年同盟委員が好んで歌う歌に「ケサラ」があるが、そこには、自由のために「死」を選んだというフレーズがあり、聞く人をびっくりさせる。

 

 

 

1.押さえ切れない怒り

 

  こらえ切れない悲しみ

 

  そんなことのくり返しだけど

 

  決して負けはしないさ

 

  ※ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ

 

   僕たちの人生は

 

   平和と自由もとめて

 

   生きてゆけばいいのさ

 

 

 

2.泣きはらした夜

 

  迎える朝のまぶしさ

 

  涙の乾くときはないけど

 

  決して倒れはしないさ

 

  ※(繰り返し)

 

 

 

3.いつも思い出すのさ

 

  自由のために死を選んだ

 

  グェン・バンチョイ ジョー・ヒル

 

  ビクトル・ハラを

 

  決して忘れはしないさ

 

  ※(繰り返し)

 

 

 

4.広く高く大きく 

 

  明日に向かって力強く

 

  人間のやさしさをうたえ うたえ 

 

  うたえ うたえ うたえ

 

   うたえ うたえ うたえ 

 

   人間のやさしさをうたえ うたえ

 

   明日に向かって力強く 

 

   広く高く大きく

 

 

 

象列車合唱団というものがある。日本共産党員や左翼の母親などが呼びかけて、保育園児や幼稚園児、子供たちを集めて、夏などに合唱会をするというものだ。しかし、組曲「ぞうれっしゃよはしれ」の歌詞はすごく残酷だ。

 

 

 

歌詞の中に、以下のフレーズも含まれる。

 

 

 

第5章 動物を殺せ

 

 

 

効果音「空襲の音」

 

 

 

園長

 

「戦争はやがて世界に広がり、ますます激しくなりました。

 

そしてある日危険な動物は殺すように、と言う命令が軍から動物園側に下されたのです。

 

動物をまもるために、私達は懸命にたたかいました。しかし動物を殺せと言う人たちの圧力は、日に日に強まるばかりでした。

 

 

 

もしもここに爆弾が落ちたら

 

逃げだした動物は、人を襲うだろう

 

動物を殺せ!動物を殺せ! 殺せ! 殺せ!殺せ!殺せ!

 

 

 

園長ソロ

 

動物の命を護り育てることが 私のつとめだから

 

動物と人間の心をつなぐことが 私の喜びだから

 

どうして動物を殺すことができよう

 

  どうして動物を殺すことができよう

 

 

 

軍人

 

「他の動物園では、すでに動物を処分しておる!ここだけ特別というわけにはいかんだろうが! どうしても殺さんというのなら、しかるべき手段をとるぞ!」

 

 

 

園長ソロ

 

動物を殺すことができない私に

 

非国民!非国民とののしる声

 

かずかずのいやがらせ

 

けれどどうしても私には殺せない

 

 

 

動物を殺せ!動物を殺せ! 殺せ!殺せ!殺せ!………

 

 

 

効果音「銃声」

 

 

 

まだ小学校にも行っていない児童にこんな歌を歌わせていいのだろうか。